こんにちは てぃてぃパパです。
「自信ってなんだ!?」…と思ったことありませんか?
その “自信”っていう言葉に人は振り回されてて結局ストレスに変換されてるんじゃないの、って気がしてます。 そういうためになるお話です。
こんな話から、
この世(自然界)には「2・8の法則」というものがあるらしく、人間界でわかりやすく例えるなら、
“自分の事に嫌悪感を持つ人が10人中8人いても残りの2人はとてつもなく好意をもってくれてる” という2,8の真理だそうです。もちろんその逆も然り。
例えば、身近な話で言うと、何か自分がミスをしたとします。日本人は必ず責任という言葉の下、その人を冷たくあしらうでしょう。会社でも上司筆頭に、みんなが自身のことでないというだけでその人を白い目でみるもの。 本人はミスの度合いが大きければ大きいほど落ち込み、自分だけか、…と誰だってしばらくの間この世の終わりのような気分になるものです。
もう一つ、合コンに行ったとします。10人もの女性が揃っているのに どうも調子が悪い;「今回こりゃダメだわ」と自身を嘆いていても あきらめるのはまだ早い。実は1人、2人は内心自分に好意を持ってくれている可能性が。それは容姿なのか性格のキャラクターなのかここではわかりませんが実際はこんなことがよくあるんです。その日はともかく後日のんびり待ってみましょう。 身なりも綺麗で金も持ってそう、カッコいいのに でも大してモテててない。 その逆になんであいつが女性に人気あんの!?って思ったりするのはこういう事実の存在と深層でリンクしているからかもしれません。
人間誰だって自分のポテンシャルが良くないな、と思うケースに陥るとどうしても自身を責める。「自分には自信がないから…」とすぐにネガティヴに白黒つけてしまう。 実はそれは間違いで心から同情してくれたり、自分と同じ意見を言ってくれる人もいる。たとえ目には見えなくても必ず理解してくれる2割の人がこの世には存在しているということです。
だから自分の思うように、したいようにすれば良いんです。人の中傷や意見なんかは 現れてもすぐ消える、”霞”のようなもんなんです。
コレだけでも聞くと元気出ないですか!? 悩んでたのがバカバカしくなって寂しくないでしょ。
ということはですね、深堀ると 人は”自分のことをよく見せようとか、会社でみんなに好かれようとか頑張らなくていいんですね!” いつも100点採ろうとしなくていいんです。 ってことが本質になる。 そうですね、いつもニュートラルな心でいるこことが普通なんです。
では、そういうメンタルをインストールするにはどうしたらいいか?
繰り返しになりますが、“みんなに好かれなくて良いんです”
人は人生においてプラスになる人とマイナスになる人を振り分ける必要があり、1年後2年後、5年10年 自身の進むべき未来に「この人は自分の人生に必要かどうか?」コレをスタート地点で問う必要があります。コレをやらないと人間関係の無意味なストレスが自身のポテンシャルに影響してしまいます。
みなさん、身近なところで会社でもどこでもいいんですが、”どうしても嫌いな上司、許せない人、自分とは性が合わない人”っていませんか? 少なからず誰でも同じ必ずいるもの。
この人達に好かれなくて良いんですよ、好かれたいですか? なぜですか? 万人に自分の事認められたいからでしょうか? なぜ気にするんですか? 実はその人にあって自分にないからというだけの妬みがあったりしませんか?
…まずこれらを自身に問い出してみてください。これを紙に書き出すのが最適です。
結論、どれも考え方は古いです。時代は個人の主張を求めており後押ししてます。この連中達はあなたに毒を吐いてると思っててください。実はわざとあなたを困らせているだけの揚げ足取りだったんですよ!? “日本は世界一安全できれいな国だが真面目な顔して人を不幸せにする” 世界一不幸な人種とも呼ばれている、…これはこのおかげです;
この点を最初に理解した上で生きていこう、と思ってください。
厳密に言いますと、中学に入る頃には少なからずこういう “振り分け” が私には必要だと思ってます。まだ早いのでは? と思われがちですが早くない、少なからずここから自身を形成し始めるることがその子の人生につながるし それを積み重ねてきたことが “運” として必ず将来その子を助けます。子を取り巻く環境が大切、 “グレるも進むもその子次第” ではなくて、まだ経験が浅い上、親の責任として内観、場合によっては監視してあげる必要があります。「監視」というのは自身だけでなくその子の”友人達”も大きく指してます。
仏教の世界では12歳を過ぎると人間は “大人”としてさす、と言いますがこういうことも意味してるのではないでしょうか。
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